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祖父の趣味は「木工」だった
母方の祖父は、手先が器用な人だった。
彼は「お箸」を作る会社を鳥取県で経営し、ひと財産を築きました。
そして、50代でアッサリと会社を畳み、
兵庫県でアパート経営をしながら、セミリタイア生活へ。
趣味で木工作品を作っていた。
子どもの頃に遊びに行くと、祖父の作業部屋には、
木の切れ端が転がり、ほのかに木の香りがしていた。
作っていたのは、「漆塗りのお盆」や「重厚な一枚板の座卓」。
子どもには、重厚な作品の良さがイマイチ理解できなかった。
思い返すと、こんな重厚な座卓をいくつも作っていた。
今も、実家のどこかにあるはずだけど・・・(笑)
祖父は阪神淡路大震災の翌年に亡くなりました。
(もう20年以上も昔の話です。)
祖父の木工作品は、親族で欲しいものを貰うことに。
我が家は、「重厚な座卓」「重厚なお盆」と、
「茶杓」を何本か譲り受けました。
祖父作の「茶杓」は、素人目にも素敵だった。
素人の木工なんですが、ちゃんと箱入り。
「御茶杓」の箱書きは、祖父の字です。
祖父の手作り「茶杓」を先生に見せたら・・・
そしてまたまた月日が流れ・・・、いろいろあって、
わたしはこの秋から裏千家の「お茶」を習うことに。
(生け花を習ってましたが、
セミリタイアして時間ができたので、
茶道の基礎だけ習うことになったのだ。)
お手前の基本動作を、
ベテランの生徒さんがマンツーマンで指導してくれます。
ただ覚えが悪くて、迷惑をかけてます。
何かお礼をしたくて、「祖父の茶杓」について話してみたら、
「ぜひ欲しい!」というお返事でした。
お茶の心得がある方に使ってもらえれば
祖父も喜ぶはず。
久しぶりに家の中を探してみると、
黒柿、黒檀、いろんな種類の茶杓がありました。
「こんな素人の茶杓なんですが、・・・」と
お世話になった生徒さんに見てもらっていたら、
「アラ!この茶杓どうしたの?」と先生に見つかりました。
目利きの先生の目が好奇心で光っています。
「先生、この茶杓は祖父が作ったもので、
素人の作品ですし、
先生にお見せするのは恥ずかしくて・・・。
茶杓って、基本は竹の茶杓が正式ですよね。木の茶杓は邪道ですし・・・」
「いえいえ、これは立派な茶杓ですよ。お上手よ。
おじいさん、プロとして売っておられたんじゃない?
面白い木の茶杓だから、わたしも欲しいわ。
ちょうだい?」
「えーっ!!!(驚)
それでしたら、お好きな茶杓をぜひ貰ってください。
先生に使っていただけるなら、祖父も喜びます。」
「じゃあ、面白い柄のコレとコレと2本ちょうだいね。
お正月の初釜に使うわね。」
先生も心なしか、ニコニコと嬉しそう。
おじいちゃん・・・(涙)
目利きの先生が、おじいちゃんの茶杓を褒めてくれたよ。
大事な初釜で使ってもらえるって。
茶杓の晴れ舞台だよ。
おじいちゃんもあの世で喜んでくれているかな。
おじいちゃんは、なぜ茶杓を作っていたんだろう
後日実家に帰った時に、母にこの話をしたら、
「おじいちゃんは、センスが良かったのよー。」
と、嬉しそう。
「おじいちゃんは、何のために茶杓を作っていたの?」と聞いたら、
「沢山作っては、欲しいという人にぜーんぶタダであげていたのよ。
凝った材料を買ってきて、作るのがとにかく好きだったのね。」
我が祖父ながら、太っ腹・・・。
それだけじゃなくて・・・
祖父も、「自分のセンスで、モノを作る」ことが大好きだった。
わたしのハンドメイド好きは、
祖父の遺伝子を受け継いでいるからなのか。
わたしも、自分のセンスで「欲しい!」と言われるモノを創れるようにがんばるよ。