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祖父の趣味は「木工」だった
母方の祖父は、手先が器用な人だった。
彼は「お箸」を作る会社を鳥取県で経営し、ひと財産を築きました。
そして、50代でアッサリと会社を畳み、
兵庫県でアパート経営をしながら、セミリタイア生活へ。
趣味で木工作品を作っていた。
子どもの頃に遊びに行くと、祖父の作業部屋には、
木の切れ端が転がり、ほのかに木の香りがしていた。
作っていたのは、「漆塗りのお盆」や「重厚な一枚板の座卓」。
子どもには、重厚な作品の良さがイマイチ理解できなかった。
思い返すと、こんな重厚な座卓をいくつも作っていた。
今も、実家のどこかにあるはずだけど・・・(笑)
![](https://i0.wp.com/hirunenikki.com/wp-content/uploads/2018/10/97876e8e376adccbc4fb0f6e18c761bc.jpg?resize=367%2C243&ssl=1)
祖父は阪神淡路大震災の翌年に亡くなりました。
(もう20年以上も昔の話です。)
祖父の木工作品は、親族で欲しいものを貰うことに。
我が家は、「重厚な座卓」「重厚なお盆」と、
「茶杓」を何本か譲り受けました。
祖父作の「茶杓」は、素人目にも素敵だった。
素人の木工なんですが、ちゃんと箱入り。
「御茶杓」の箱書きは、祖父の字です。
![](https://i0.wp.com/hirunenikki.com/wp-content/uploads/2018/10/IMG_6935-2.jpg?resize=3264%2C2448&ssl=1)
祖父の手作り「茶杓」を先生に見せたら・・・
そしてまたまた月日が流れ・・・、いろいろあって、
わたしはこの秋から裏千家の「お茶」を習うことに。
(生け花を習ってましたが、
セミリタイアして時間ができたので、
茶道の基礎だけ習うことになったのだ。)
お手前の基本動作を、
ベテランの生徒さんがマンツーマンで指導してくれます。
ただ覚えが悪くて、迷惑をかけてます。
何かお礼をしたくて、「祖父の茶杓」について話してみたら、
「ぜひ欲しい!」というお返事でした。
お茶の心得がある方に使ってもらえれば
祖父も喜ぶはず。
久しぶりに家の中を探してみると、
黒柿、黒檀、いろんな種類の茶杓がありました。
「こんな素人の茶杓なんですが、・・・」と
お世話になった生徒さんに見てもらっていたら、
「アラ!この茶杓どうしたの?」と先生に見つかりました。
目利きの先生の目が好奇心で光っています。
「先生、この茶杓は祖父が作ったもので、
素人の作品ですし、
先生にお見せするのは恥ずかしくて・・・。
茶杓って、基本は竹の茶杓が正式ですよね。木の茶杓は邪道ですし・・・」
「いえいえ、これは立派な茶杓ですよ。お上手よ。
おじいさん、プロとして売っておられたんじゃない?
面白い木の茶杓だから、わたしも欲しいわ。
ちょうだい?」
「えーっ!!!(驚)
それでしたら、お好きな茶杓をぜひ貰ってください。
先生に使っていただけるなら、祖父も喜びます。」
「じゃあ、面白い柄のコレとコレと2本ちょうだいね。
お正月の初釜に使うわね。」
先生も心なしか、ニコニコと嬉しそう。
![](https://i0.wp.com/hirunenikki.com/wp-content/uploads/2018/10/IMG_6941.jpg?resize=3262%2C2448&ssl=1)
おじいちゃん・・・(涙)
目利きの先生が、おじいちゃんの茶杓を褒めてくれたよ。
大事な初釜で使ってもらえるって。
茶杓の晴れ舞台だよ。
おじいちゃんもあの世で喜んでくれているかな。
おじいちゃんは、なぜ茶杓を作っていたんだろう
後日実家に帰った時に、母にこの話をしたら、
「おじいちゃんは、センスが良かったのよー。」
と、嬉しそう。
「おじいちゃんは、何のために茶杓を作っていたの?」と聞いたら、
「沢山作っては、欲しいという人にぜーんぶタダであげていたのよ。
凝った材料を買ってきて、作るのがとにかく好きだったのね。」
我が祖父ながら、太っ腹・・・。
それだけじゃなくて・・・
祖父も、「自分のセンスで、モノを作る」ことが大好きだった。
わたしのハンドメイド好きは、
祖父の遺伝子を受け継いでいるからなのか。
わたしも、自分のセンスで「欲しい!」と言われるモノを創れるようにがんばるよ。