目次
「嫌われる勇気」とセミリタイアの関係
「自分のやりたいこと、やろーぜ。人に嫌われてもいいからさ。」
タイトルから、そういう本だと思っていた。
それなら、わたしも大事な場面では、人に嫌われていいと思って、
道を選んでるし、そーいうことだよね?
けれど、この本が言いたいのはそういう単純なことではなかった。
読み終わった時に、私が思ったのは
ハラ落ちするまで考えてみよう。
セミリタイアする上で、
「嫌われる勇気」が理解できていると、
なんか気楽に生きられそうな予感がある。
自分のためにも「嫌われる勇気」で心に響くところを
まとめてみます。
人間はいつでも変われる
過去に何があっても、過去のせいにするな。
未来は自分で選ぶものだ。
アドラー心理学では、こう説いている。
「過去(トラウマ)によって、結果は生まれない」
自分が潜在的に望む目的をかなえるために、
過去の事件を理由にして、行動している。
分かりやすく言うと、こう考えるのがアドラー心理学。
「親を困らせたい」という目的があって、
それを「親に虐待された」過去のせいにしている。
自分の行動を過去のせいにして、甘えるな。
(比較)フロイトの「原因論」では、親に虐待されたから問題を起こすと考えるけど、
それは言い訳だとアドラーは言っている。
(T_T)つらい過去を経験した人を冷たく突き放しているようだけど・・・?
自分で将来を選べる!
という意味だ。
厳しいけど、実は愛がある。
誰でも幸せになる可能性があるってことだよな。
変われないのではなく、変わらない決心をしている
アドラーは過去にしばられるなと説く。
過去に何があっても、
生き方(ライフスタイル)を選ぶのは自分なのだ。
生き方を変えるのはエネルギーがいる。
それが面倒だから、変われない理由を探して、
言い訳にしているだけだ。
(例)親が反対で、自分のやりたい仕事ができないのは言い訳。
・・・・アドラー先生、一刀両断だ。
鋭いところをついてくるなあ・・・。
面倒だし、勇気がいる。
わたしは早期退職募集がきっかけで、セミリタイアできた。
チャンス到来で、ラッキーだった。
それはさておき。
自分で将来を選べるものなら、
今の「悩み」をなんとかしたいもんですな。
それで、あなたの悩みって何ですか・・・・?
すべての悩みは、対人関係の悩みだ
アドラー先生は、「悩み」をシンプルに断言する。
すべての悩みは、対人関係の悩みである。
そこまで言い切られると、そうかもしれない。
(自分に哲学的な悩みがないからな。)
対人関係といえば、自分と他人と自分を比べて
競争の視点から、「劣等感」を感じることも多い。
そこで、アドラー先生は「他者との競争」を止めて、
他者=仲間と思えばよいとおすすめしてます。
人生は他者との競争ではない
健全な劣等感は、他者との比較ではなく、
理想の自分との比較で生まれる。
誰かと競争するのではなく、
今の自分よりも前に進もうとすることに価値がある
自分が前進したらいい。
そう思えると、人生楽になる。
ただ、他者を仲間と思えるためには、
勇気をもって行動せねばならぬのだ。
勇気を持って、人生のタスクを乗り越えよ
アドラー先生は「人生のタスク(課題)」にちゃんと向き合えば、
「他者=仲間」と思えるようになると言ってます。
(人生のタスクから逃げていると、他者=敵と思いこむそう。)
ところで・・・
人生のタスクは、3つ
「仕事スのタスク」
「交友のタスク」
「愛のタスク」=親・配偶者・子供のタスク
この3つから逃げたら、アカンのや。
逃げずに向き合うことで、他者を仲間と考えられるのだ。
逃げるな。勇気を持って、現状を変えろとアドラー先生は力説する。
そして、タスクに向き合うことで、かなえたい目標がある。
タスクに向き合って、次の目標を目指して欲しいのだ。
行動面の目標
●自立すること
●社会と調和して暮らせること
心理面の目標
●「わたしには能力がある」という意識を持つ
●「人々はわたしの仲間である」という意識を持つ
でも、このタスクはわたしとしては・・・???なところもある。
逃げるが勝ちだ。
それとも、危険な存在から逃げる=タスクに向き合うことなのか?!
わたしは、“おひとりさま”なもんで、”愛のタスク”に十分向き合えてない。
そこは肩身がせまいですが、セミリタイアもしたし、
「親・姉妹」のタスクにしっかり向き合います。
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ここで、いったん休憩してから、「自由」の話に入ります。
自分の生き方を自由に選ぶには、どうしたらいいんでしょう?
自分の生き方を選ぶには、「課題の分離」が必要だ
自分の課題と、他人の課題を切り離す。
自分の課題には真剣に向き合い、
他人の課題には一切踏み込むな。
自分の課題を把握し、自分の信じる最善の道を選べ
他人の課題を切り離す=人のために生きるのをやめる。
それは、他人の承認を求めないことにつながる。
「自由とは、他者から嫌われることである。」
この心構えができたら、悩むことがなくなるのだ。
「嫌われる勇気」を持てば、他人の課題を切り離し、
自分の課題に向き合えるようになる。
人間関係に悩むことがない。
なるほど。ここまでは、よーく分かる。
ところがね、その次が難しい。
アドラー先生の視野が急に大きくなるのだ。
アドラー心理学のゴールは「共同体感覚」を持つこと
アドラー先生は、「共同体感覚」を持つことが大事だと説く。
「共同体感覚」って?
他人を仲間とみなし、
そこに自分の居場所があると感じられること。
わたしの「共同体」は、国家や人類などを包括したすべて。
時には、過去から未来まで含まれるし、無生物から動植物まで含まれるぞ。
課題の分離をして、「他人」と「自分」をやっと切り離したのに、
こんどはいきなり、地球全体を含むような「共同体感覚」を持てとは
・・・スケールでかすぎ?
って、思えるようになるのがゴールなのね。
この思考のジャンプ、セミリタイアした自由の今では、
なんとなく分かる。
「会社」という身近な共同体目線で考えていたのが、
さらに大きい共同体の単位で考えたくなるのだ。
「日本」とか「地球」単位でね。
心理学も突き詰めると、「自分のため」から、
「世界のため」になっていくのだな。
神のいない宗教だ。
縦の関係から「横の関係」を築こう
共同体感覚を感じるために、「横の関係」が大事やと
アドラー先生はいいます。
「横の関係」って何?
縦の関係は、親子・上司&部下など、上下のある関係。
横の関係は上下がなく、対等な関係だ。
「人間は同じではないけど、対等」というのが基本ルールだ。
ここで、わたしが興味深かったのは、
「こどもを褒めたり、叱ったりする」のは、縦の関係だからNGという考え方です。
ほめたり叱ったりするのは、上から目線の評価であり、縦の関係です。
これは劣等感や過剰な承認欲求を生み出すのだ。
どうすればいいの?
ほめても叱ってもいけないなら、どんな言葉をかけたらいいのか。
ほめるのではなく、自分で解決する援助をする。
それは、評価ではなく
「ありがとう」という感謝や尊敬・喜びを伝えること。
横の関係からの感謝の言葉を聞くと、自分が共同体に貢献できたと感じる。
それで、自分の価値を知ることで、勇気が持てるのだ。
この言葉のチカラがすごいのか。
感謝の言葉で、他人=仲間という認識になる。
そして、共同体感覚が培われる。
共同体感覚を持つために必要なことは、3つ
共同体感覚を持つためには、
「自己受容」
「他者信頼」
「他者貢献」の3つがポイント。
①自己受容
今の自分をありのままに受け入れる。
「できない自分」を受け入れつつ、できるようになるよう
前向きに進んでいくこと。
「肯定的なあきらめ」とも言える。
②他者信頼
無条件に相手を信じる。
対人関係をよくするため、横の関係を築くには
信頼がかかせない。
わたしは、直感で信頼できると思えたら
信じるけれど、直感で「この人はヤバい」と思ったら
心のシャッターをガラガラ下ろしてしまいます。
それでは、だめなのアドラー先生?
③他者貢献
与えることに見返りは求めず、共同体に貢献すること。
自己犠牲でなく、自分の価値を実感するため。
(過剰な自己犠牲は、やりすぎ。)
共同体感覚が分かると、人生の目標に近づける
共同体感覚が分かることで、
やっと「行動面」「心理面」の目標が達成できるのや
行動面の目標
●自立すること
●社会と調和して暮らせること
心理面の目標
●「わたしには能力がある」という意識を持つ
●「人々はわたしの仲間である」という意識を持つ
いま、ここを”ダンスをする”ように生きる
人生に目標を計画すべき?という問いに対して、
アドラー先生はきっぱり答えます。
人生は、”刹那の連続”だ
われわれは「いま、ここ」にしか
生きることができない。
ダンスをするように生きていけばいい。
人生に目的地は存在しない。
「いま、ここ」が充実していれば、それでいい。
この言葉を聞くと、気がラクになります。
アドラー先生、ありがとう。