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「利休の闇」で、利休の謎はいくつ明かされる?
加藤 廣(かとうひろし)が
「千利休」を描くなら、
予想外の鮮やかな謎解きがあるはずだ。
いくつかの謎が、
加藤 廣の視点で解釈されていて、
それなりに面白いけど、物足りなかった。
いくつか面白い解釈がありつつも
大きな驚きはあまりなかった。
そうは言いつつ
面白かったくだりをまとめてみた。
「利休」の名前は秀吉からの押しつけだった?
本人は気に入ってなかったらしい。
今では「茶聖」として
誰もが知る「千利休」の名。
この「利休」の名は
朝廷と秀吉から押しつけられた名前だったと書く。
もともと”千利休”は、「宗易」を名乗っていた。
利休=名利共休の意味は
名誉欲・利材欲を超越し、
これに拘泥しない自由の境涯を意味する。
悟りの臭みが消え、
自然で気負いも飾り気もない境地。
格好いい雅号だと思う。
なぜこの雅号が押しつけなの?
押しつけと推測する理由は、
「朝廷からの命令=下賜」だったから。
朝廷の背後には秀吉の意向が働いている。
つまり秀吉は、
「利休」が意味するような
清らかな人間になれという
命令を下したのだ。
それってつまり・・・
茶聖・利休は、欲深い人だった
宗易は女遊びや
贅沢な消費、茶道具の値付けで
大儲けした等理由で、
朝廷の不興をかい、
宮中への出入りを禁じられていた。
「利休」への改名は、
そんな宗易への嫌がらせだったらしい。
ただし、宗易にもメリットがある。
改名することで
別人になる=追放が解け、
宮中の茶会にも出席できる。
宗易は利休への解明を
「有り難き幸せ」と承った。
ただ、内心では気に入ってなかったらしい。
気に入らないだろうね。
秀吉直系の手紙には「利休」と署名したが、
それ以外の手紙には「利休・宗易」と連署していた。
また花押は「宗易」をずっと使用した。
ひそかに抵抗していたんですね・・・。
「利休」の名前で人々の記憶に残った皮肉
想像してみると、
もし「宗易」のままだったら、
茶聖のような存在として歴史に残っただろうか。
「宗○」と名乗る茶人は
多数存在していたら
その中に埋もれてしまったかもしれない。
(最期に切腹させられる悲劇があったとしても。)
“利休”という先例のない
悟りを感じさせる雅号が
彼を人々の記憶に残したと言える。
秀吉は利休の名前を押しつけたつもりで、
利休の名声を残すことに力を貸したかもしれない。
待庵・黄金の茶室が狭い理由
「待庵」誕生のきっかけ
利休考案と伝えらえる「待庵」は
わずか「二畳」。
当時の茶室は「四畳半」が普通だったから、
約半分に削ったんですね。
※さかい待庵の画像をお借りしました。
茶室を二畳半に造ったのか。
この小説では、
秀吉の山崎の合戦直前に、
山崎で待庵が誕生した。
味方の武将を奮起させるため
戦の前に武士茶会を開いたのだ。
秀吉の依頼で、利休はたった1日で
茶室を造らねばならなかった。
1日で茶室を造ろうとすると・・・
限界が「二畳半」だった。
大胆推理である。
でも確かに、戦の前に
狭い二畳半でお茶を振る舞われたら
秀吉と武将の距離はぐっと近くなっただろう。
この人のために戦おう。
感激してそう思っただろう。
待庵誕生のきっかけが
「秀吉の人たらし作戦」という
読みが面白い。
黄金の茶室は暗い宮中で輝くために造られた
黄金の茶室は、三畳。
移動・組み立て式の画期的な茶室である。
さかい利晶の杜での「黄金の茶室(復元)」も
可愛らしい大きさの茶室だった。
黄金の茶室は、宮中へ持ち運ぶために
移動・組み立て式の茶室として
設計された。
宮中に運び入れる茶室だ。
そして、なぜ三畳なのか。
金箔を剥がさずに移動・組み立てするには、
この大きさが限度だった。
金の使用量は、茶室で100㎏。
茶器で50㎏と言われている。
それだけの金箔を
投入したのか。
現代の明るさのもとでは、
黄金の茶室は成金趣味に思えるけれど。
黄金の茶室は、
暗く奥深い宮中でほのかに輝き、
幽玄な美しさで帝をお慰めした。
「つくも茄子」の謎
この小説では、「つくも茄子」の謎にも触れられている。
※静嘉堂文庫より画像をお借りしました。
茄子のようなぷっくりしたフォルムから
「つくも茄子」と呼ばれている。
つくも茄子とは
もとは足利義満が所有した唐物茶入。
その後何人かの手を経て、織田信長のもとへ献上された。
織田信長はことのほか気に入り、
常に持ち運んで愛でていた。
通説では、織田信長の死後、
本能寺の焼け跡から拾い出され、修復され
豊臣秀吉に献上されたと言われているが・・・?
この小説では、
本能寺で焼け落ちたはずの
「つくも茄子」がなぜか無傷で
秀吉がこっそり所有していたと描く。
その謎をしつこく追究した
利休の弟子「山上宗二」は
秀吉の怒りを招き
耳と鼻を削がれた上、打ち首にされている。
(ひぃ・・・(>_<))
漫画「へうげもの」山上宗二は、
どうしても秀吉にお世辞が言えなくて、
打ち首になったけれど、
真相はどうったんでしょう。
加藤廣の最高傑作は「信長の棺」
加藤廣は、本能寺の変=秀吉謀略説を
「信長の棺」で描き、
衝撃の文壇デビューでした。
新たな解釈で、面白かったなぁ。
その面白さに比べると、
利休の闇は物足らない読後感だったかな。
茶人「利休」の美意識を読みたいなら
「利休にたずねよ」
「利休の闇」で描かれた利休は、
茶人としての美意識と、
権力への欲望が入り交じっていて、
すっきりしない人物になっていた。
「美の求道者」という視点では、
「利休にたずねよ」の利休が圧倒的な魅力があった。
美に対して傲慢なまでに
追究する姿勢が貫かれていた。
死んでなお、秀吉を悔しがらせる
利休の存在感が強烈でした。