目次
タイトルと表紙に惹きつけられる
話題の「僕はイエローで~」、やっと手に取りました。
少年の繊細な表情のイラストを見ると、
「何か言いたいの?」と尋ねたくなる。
そこに
「僕はイエローでホワイトで、ちょっとブルー」という歌詞のようなタイトル。
これは著者の息子がノートに走り書きした言葉だ。
その意味を紐解くと
「僕は日本人とアイルランド人のルーツを持っていて、
ときどきブルーな気持ちになる」
・・・ということらしい。
ブルーな気持ちって何だろう。
一般的に、ブルー=哀しみを表すけれど、
息子はブルー=怒りだと思っていたらしい。
学校の課題で、本当の意味に気づいた息子。
あの走り書きの時は
怒りの気持ちだったのか、
哀しい気持ちだったのか。
中学生になったばかりの
息子くんは何を感じていたのだろう。
「ぼくはイエローで~」は
イギリスの底辺中学校生活を切りとった
躍動感あふれるノンフィクションだ。
優等生の息子くんが
元底辺中学校に入学を決めた
著者の息子くんは、
日本人とアイルランド人のルーツを持つ。
夫がカトリック信者の縁で、
カトリックの小学校に通う優等生だった。
そのままカトリックの中学校に進むと思いきや、
息子くんは地元の公立中学校に進学する!と宣言。
地元の公立中学校は、かつては荒れた底辺学校だったが、
音楽教育にチカラを注ぎ、最近めきめきとレベルアップ。
優等生の「ぼく」は音楽好きで、
あえて波瀾万丈の元底辺中学校を選択したのだ。
元底辺中学校は、今時珍しく白人ばかり。
低所得家庭の白人の子だらけで
東洋人の血を引く息子は変わり種だ。
そんな息子の毎日は
ざわざわする事件がてんこ盛りだ。
人種差別丸出しの美少年ダニエルと
入学記念ミュージカルでコンビを組むも大喧嘩。
ダニエルはハンガリー移民で、
親の時代錯誤な差別意識をそのまま受け継いだ。
彼は差別行動で、逆にいじめのターゲットになる。
息子クンはそんなダニエルをほっておけなくて、
気がつけば親友になる。
息子のもう1人の親友は、低所得家庭のティム。
いつもお腹をすかせてるティムは
ガリガリの痩せっぽちだ。
チビ同志のティムとは最初からウマが合った。
ただティムと仲良くすると、
ダニエルが「アンダーグラウンドとはつきあうな」と物申し、ケンカが勃発。
ギスギスしながらも、
2人の距離を縮めようとする息子クン。
社会の縮図のような事件を体験しながら、
自分のアイデンティティを見つめて
悪戦苦闘を続けている。
自分の頭で考え乗り越える息子クン。
彼を理解して腹を割って話す母。
こんなに本音で語り合える親子って、カッコいい。
ニヤッと笑って読むうちに、
ギュッと涙がこぼれてくるきます。
曲名になりそうなタイトル
書名もキレがよかったが、
各篇のタイトルもクールだ。
- バッドでラップなクリスマス
- スクール・ポリティクス
- 誰かの靴を履いてみること
- プールサイドのあちら側とこちら側
- ユニフォーム・ブギ
- ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとグリーン
ここで注目!
息子クンの気分がブルーから
グリーンに変わってる!
なぜ「グリーン」になったのか?は
読んでみてのお楽しみ。
ちなみに試し読みの特設サイトはこちら。
ハードボイルドな毎日のなかで
かつての教え子と再会する
息子クンの中学校生活は、
ハードボイルドな事件が起こる。
小柄な息子クンが「チンク」と侮蔑語で絡まれそうになったとき
正解は目をあわせずに、聞こえないふりをすること。
言い返したり、証拠写真を撮ったりすると
殴られる可能性が高い。
臆病に見えるけど、それが正解だ。
我が子に東洋人のサバイバル術を教えるのは切ない。
理想と現実のギャップがここにある。
そんな日常のなかで、
著者は奇跡を目撃する。
他校との交流水泳大会を応援しにいくと、
著者は華麗な泳ぎをする黒人の女の子が
自分を見つめているのに気づく。
彼女は上品な私立中学校の生徒だ。
東洋人は目立つけど、
どうしてわたしをそんなに見つめるのだろう。
気になって観察すると、
彼女の名前は「リアーナ」だった。
「リアーナ」という名前で思い出すのは
底辺保育所に通っていた
凶暴な幼児「リアーナ」だ。
あのギャングチルドレンが
今の美しくて知性あふれる美少女なのか?
リアーナは里親に恵まれて
いい教育を受け、すくすくと育っていた。
現代のお伽話がここにある。
読みながら、涙がにじむ。
それにしても・・・
詳しくは「子どもたちの階級闘争」で読んで欲しい