目次
日本の国宝「曜変天目」は
すべて中国から来たものだ
手のひらにおさまるサイズに
美が留まっている様子が好き。
特に「曜変天目茶碗」は
茶碗の小さな空間に
宇宙が存在するから、ドキドキする。
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曜変天目はなかなか拝めない。
なんといっても、貴重なお茶碗。
曜変天目は今、全世界で3点のみ現存する。
その3点はすべて日本の国宝だ。
曜変天目茶碗-Wikipediaより
中国で焼かれたお茶碗なのに、
なぜ本場の中国には現存しないのか。
本場の中国に保存されているのは
曜変天目の欠片のみ。
それがミステリー。
なぜなんだろう?
それが知りたくて、
「中国と茶碗と日本と」を読んでみた
著者は 彭 丹(ほう たん)
1971年に中国に生まれ、四川大学で日本文学を学び、日本に留学。
研究の傍ら茶の湯、能楽、禅など日本文化に親しみ、本書を上梓。
「曜変天目」は「窯変」で
人智を超えた美として嫌われた?
「中国と茶碗と・・・」によると、
曜変天目は「窯変」が最初の名称だった。
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「窯変」とは読んで字の通り、
窯の中で突然変異の結果生まれた茶碗だ。
人知の及ばぬ神秘であるがゆえに
恐ろしいものとされた。
中国の伝聞では童男童女の生け贄を捧げると窯変が起こるという・・・恐ろしい話もある。
また窯変=王朝への天からの警告という意味合いもある。
そのような言い伝えがあるため、
宮廷には献上できない。
大きな作品で窯変が起こった場合、
すべて打ち砕かれたそうだ。
とはいえ珍しいものなので、
小さな作品(つまり茶碗など)を隠して
富者に高い金額で売りつけたそう。
それが海をわたって、事情をよく知らない日本で珍重された。
日本の商人は「曜変」という美しい名称に改め、
権力者は神秘的な美しさを愛した。
そういう推理である。
なるほどなぁ。
興味深いし、筋が通っている。
とはいえ、中国側からこんな反証もある。
2009年末に杭州市内の工事現場から曜変天目の陶片が発見された。
出土場所はかつての宮廷の迎賓館のような所で、
宮廷用に献上されたらしい言葉が刻まれた陶磁器も一緒に発見された。
だから、窯変天目は中国の宮廷でも珍重されていたのではないか?
わたしは中国に完全な曜変天目茶碗が残っていない理由として、
「人知の及ばぬ神秘のため忌避された」という彭丹さんの説を推したい。
そうでないと、中国の名品の記録にも残っていない謎が解けないもの。
玳玻(たいひ)天目に関する記述。
玳玻天目は中国では黙殺された?
日本の国宝に「玳玻散花文天目茶碗」がある。
先日相国寺に観にいきました。
超絶的な技術から生まれる
重厚な美しさに圧倒された。
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ただし、この玳玻天目も本場中国では人気がなかったらしい。
当時(宋代)の茶道を支えた文人からは
派手すぎるし、
お茶の色が映えないという理由で不人気だった。
お茶との相性が悪そうだ
中国で人気がなかったから日本に輸出され、日本では権力者に珍重された。
そして日本の国宝になったわけだ。
皮肉なものだ。
彭丹さんは中国と日本の違いをこう表現した。
茶のための茶碗か、茶碗のための茶か。
中国の文人はお茶が美しく映える茶碗を好んだ。
日本の権力者は、美しい茶碗を鑑賞するために茶を嗜んだ。
確かに。
利休以前の茶道はそうだった。
利休は「お茶」を主役にするために
「楽焼」を新たに焼かせ広めたのだ。
茶碗に興味のある人には面白い本でした。
分かりやすい文章と
国宝茶碗の写真付で読みごたえありでした。